崇徳高校バレーボール部OB会 会長 山下仁
現在の広島市は、6本の川が流れ「水の都ひろしま」として春夏秋冬を通じ、多くの国内外の観光客が訪れる緑豊かな街です。 その広島市の北西に位置する崇徳中学(1875年創立・現崇徳高校)は、1945年8月6日に投下された原子爆弾で全ての校舎が焼失しましたが、仮校舎で2ヶ月後に授業が再開されました。 再開された授業は、瓦礫の整理に多く時間を割かれましたが、秋風が吹くころ、有志10人程度が集まり、2個のボール、漁網のネット・ポールは焼け残った柱を使いバレーボールコートを作り、同好会として見様見真似でパスを行った事が、崇徳高校バレーボール部の起源です。 1946年4月から崇徳中学バレーボール部として正式に活動を開始し、1948年4月の学制改革により崇徳高校バレーボール部となり、多くの関係者のご尽力の御蔭で、現在、全国制覇17回、OB会員580名を数え、多くの名選手・指導者を輩出し、「古豪崇徳」として名門校の一つに数えられております。 2015年は、崇徳中学同好会としてバレーボールを始めてから70周年を迎えるにあたり、 OB会が中心となり、創部70周年を祝して多くの行事を実施いたしました。 これらの行事を通じ現役部員は、先輩の軌跡を改めて学び、遠ざかっている全国制覇に向け、心新たに精進を積んでくれるものと確信をしています。 このたび、創部70周年行事の一環として立ち上げた本ホームページが、全国の多くの崇徳高校バレーボール部のファンの皆様とOB会員に、崇徳高校バレーボール部の情報提供及びOB会の活動報告等の媒体とし活用頂ければ、この上もない幸せです。 最後になりましたが、崇徳高校バレーボール部のファンの皆様には、末長く崇徳高校バレーボール部に対し、ご厚情ご鞭撻を賜りますようお願いを申しあげます。
崇徳中学・高等学校 学校長 吉田義視
1945年の秋、被爆間もない旧制中学校の時代に、崇徳バレーボール部は誕生しました。その紺色のユニフォームは常に広島の、いや日本の高校バレー界で高く羽ばたいてきました。3冠達成、全国大会優勝17回、伝統と歴史は燦然と輝きます。稲葉、吉川監督以来、現在の本多監督に至る歴代監督に率いられた各代の選手たちの精進と奮闘は実に素晴らしいものです。崇徳バレー部がますます充実した活動を続けて学園の隆盛を力強く牽引してくれることを期待します。